2016年05月21日

鋸山登山口と隧道と明金岬

鋸南町の気温は21℃ 晴れ

「町報きょなん」に随分と懐かしい写真が掲載されました。

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現在の国道から日本寺の観光道路への入口付近の昭和初期頃の風景です。鉄道が開通したのが大正七年ですからそれ以降です。橋の両側に登山者相手のお休み所がありました。【やすみ所 山六】というお店です。前を通る道は現在の国道よりかなり細い道だったことが分かります。(町報きょなんより)

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元名海岸を望む風景。左手に鋸山の明鐘隧道口と歩く人の姿が見えます。江戸時代までここには隧道(トンネル)など無く、保田と金谷の往来は明鐘岬の突端の岩場伝いを歩いて抜けるとても危険な道しかありませんでした。明治になり全国的な交通網の整備が行われ、鋸山に隧道が完成したのが明治21年でした。ようやく人々はは安全に安房と上総の行き来が出来るようになったのです。この翌年の22年に夏目漱石は学友と保田に海水浴に訪れ、鋸山にも登りました。そして、出来たばかりのこの隧道を見て感激しています。(町報きょなんより)

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(明金岬の海岸側を写したハガキです)

明金岬というと、2014年に『ふしぎな岬の物語』で映画化された喫茶店『岬』が有名です。第38回日本アカデミー賞優秀賞を最多13部門ノミネート、第38回モントリオール世界映画祭にて、審査員特別賞グランプリ&エキュメニカル審査員賞をW受賞。どこか懐かしさ漂う里の、岬の先端に立つ小さな喫茶店に集まる人々と女店主の交流を描く、心温まる物語

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(喫茶店『岬』画像と下記の文はここから)

「岬」の経営者は、玉木節子さん。熊本県出身の両親が、明鐘岬で石材を切り出していた。採石スペースが限界を迎え、両親は出身地にちなんだ飲食店「阿蘇」を開店する。その後、玉木さんのおいがライブハウス「ASO」に切り替え、さらに玉木さんが隣接地に喫茶「岬」を出す。手づくりの喫茶店は風雨の強い岬の突端にある。平成23年(2011)1月20日夜、火災で焼失してしまう。名前は違えど、親の代から親しんだ店。玉木さんには大きな衝撃だった。が、常連客や協力者も多く、再建作業が続けられる。その年の12月22日には、ユニットハウスで営業を再開する。

その後「岬」ファンの小説家の森沢明夫さんの小説『虹の岬の喫茶店』が世に出て、2014年に『ふしぎな岬の物語』で映画化されました。

本日入荷の寿司種です。(入荷が少ないものは、早めに無くなるものもございます)

サヨリ、カマス、サワラ、カレイ、ヒラメ昆布〆、黒ムツ、生トリ貝、イワシ、サザエ、コハダ、アオヤギ、アジ、タチウオ、甘鯛、花鯛、真鯛、金目鯛、カツオ(勝浦産)、地たこ、アオリイカ、ヤリイカ、煮アナゴ、煮ハマグリ、赤貝、自家製玉子焼き(有精卵使用)、ウニ、イクラ醤油漬け、マグロ他
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※入荷が少ないので載せていない寿司種もございます。
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タグ:歴史資料館
posted by らかん at 09:25| Comment(0) | 保田の歴史、文化

2016年05月19日

安房勝山自然公園と平田未喜三氏

過去、勝山に遊園地やヘルスセンターがあったとのこと。そこで、ネット検索ですが調べてみたら、本当にありました。随分と当時は賑わったようで、改めて60歳以上の方に話を聞いてみると、皆さん夏には遊びに行ったと懐かしがって話されていました。

『鋸南町史 改訂 通史編』(鋸南町教育委員会1995)p1108に「新しい観光への展望 勝山遊園地」という項目があり、以下のようなことがわかりました。
勝山の観光事業に敏腕を振るった平田未喜三氏は、昭和25-29年の勝山町観光協会会長時代に大黒山のふもとにさまざまな遊具施設を設置した勝山遊園地を建設した。また、大黒山の岩肌を利用した水族館を造り定置網にかかった珍しい魚を観賞用として飼育すると共に、サルや孔雀などの動物も観光用として飼育していた。

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(故平田未喜三氏、1953年の映画、蟹工船で浅川監督役を演じた。)

昭和28年3月東海汽船(株)が、町内の観光資源の豊かさに着目し、平田朗・未喜三と共同経営により、ヘルスセンター、頼朝荘(宿泊施設)が建設され房州地方の一大遊園地に発展した。一方、大黒山に登る施設も完備していた。

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(今の大黒山)

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(大黒山入口に作られた竜宮城水族館跡の看板)

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(自然洞窟に造られた水族館)

『千葉新聞』(1953(昭和28)年3月9日)に、勝山町の収入役が同町大黒山(勝山海浜公園)その他国有地の払い下げの契約のために東京営林局に出向いたという記事がありました。
また、千葉県内の木更津市立図書館へ照会し、所蔵資料『東海汽船80年のあゆみ』(東海汽船 1970)の年表を確認してもらったところ、昭和28年3月から勝山で遊園地、水族館、ヘルスセンター、頼朝荘の経営との記述があるとのことでした。

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(勝山龍宮城水族館)
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(竜宮城水族館、大勢の人で賑わっています)
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(昭和30年代、勝山町の観光パンフレット)
 
記事、写真を以下よりお借りしました。
レファレンス協同データベース
昭和な安房勝山にタイムスリップ 
安房勝山竜宮城水族館と勝山遊園地 
昭和な安房勝山自然公園
昭和な安房勝山自然公園その2

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2016年05月17日

歌川広重と保田海岸

鋸南町保田は、明治期から避暑地として賑わい、多くの著名人が集っていました。バブルの崩壊期には、大企業が保養所撤退、別荘地を手放す人も多く、今は閑散としています。夏になると海水浴客が溢れていましたが、今は海水浴客もかなり少なくなっています。
海は昔の景色とそれほど変わらない姿を残しているのですが・・(ネットからの拾い物画像)
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(元名海岸と鋸山、過去と現在)

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(保田海岸から鋸山を望む、過去と現在)

風景版画で知られる江戸時代後期の浮世絵師、歌川広重(安藤広重)は、房総へ二度旅行しています。最初は天保15年(1844)、48歳の時、江戸から船で木更津に着き、鹿野山を参拝しました。
二度目は、嘉永5年(1852)2月25日から3月7日、56歳の時、やはり江戸から木更津へ着き、鹿野山を通って外房に出て、小湊誕生寺、清澄山を参詣し、内房を回って、館山の那古観音から勝山、保田を通りました。鋸山にも参詣し、その日は金谷で一泊、相部屋の旅人と酒盛りして、絵について話が盛り上がりました。

この時の旅のスケッチをもとに、広重は多くの房総の風景版画を書きました。特に保田海岸から見る富士のすばらしさに感動した広重は「富士三十六景」やうちわ絵で房州保田海岸を描いています。(鋸南町歴史・文化案内書)

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※金森南耕(日本画家、大正9年中原字藪が谷に居を構える。石原純とともに保田の良さをあまねく天下に紹介した一人。
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※山内多門(日本画家、宮崎県生まれ。大正13年間に靉日山荘=「紫花山房」の隣に居を構える。
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※鰭崎英朋(相撲四十八手)図の第一人者で、美人画でも人気を博した挿絵画家。鋸南町大六の祖母に育てられた。
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※伊東深水(日本画家、東京深川生まれ。佐久間の福原家と懇意で、深水は佐久間別子に弟子たちを連れてきて修行。弟子たちと何度も鋸山に行っている。
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本日入荷の寿司種です。(入荷が少ないものは、早めに無くなるものもございます)

カマス、サワラ、カレイ、ヒラメ昆布〆、黒ムツ、生トリ貝、イワシ、サザエ、コハダ、アオヤギ、アジ、タチウオ、甘鯛、花鯛、真鯛、金目鯛、カツオ(勝浦産)、地たこ、アオリイカ、ヤリイカ、煮アナゴ、煮ハマグリ、赤貝、自家製玉子焼き(有精卵使用)、ウニ、イクラ醤油漬け、マグロ他
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※入荷が少ないので載せていない寿司種もございます。
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