2016年11月30日

見返り美人画の菱川師宣誕生地は保田です。

鋸南町の気温は13℃ 晴れ

浮世絵師の菱川師宣は、本名は吉兵衛(きちべえ)といい、江戸時代初期の寛永中頃(1630 年頃)保田に生まれました。

鴨川市出身の彫刻家・長谷川昂氏の制作によるブロンズ像です。菱川師宣記念館前に建っています。

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(見返り美人ブロンズ像)

千葉県指定史跡になっている菱川師宣の生家跡は国道127号線沿いにありますが、場所を確認してから訪ねたほうが良いです。右隣の建物は色々と名前が変わっています。今は保田食堂ですが、私の記憶では、あさや旅館、黒潮旅館、萬寿山、保田食堂と変遷しています。

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((指定日)昭和33年4月23日、所在地(所有者)安房郡鋸南町保田182(鋸南町))

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(菱川師宣誕生地の碑)

菱川師宣の生家跡で、千葉県指定史跡です。菱川師宣は、本名は吉兵衛(きちべえ)といい、江戸時代初期の寛永中頃(1630 年頃)保田に生まれました。生年は今だ確認されていません。父、菱川吉左衛門は、布地に刺繍(ししゅう)や金銀箔(きんぎんぱく)をほどこす縫箔師(ぬいはくし)。京都移住者と伝わる吉左衛門と、地元保田の岩崎家の娘、おたまが結婚し、生まれた師宣は、7人兄弟の3番目で、長男でした。

幼い頃から家業を手伝い、絵の才能を目覚めさせ、後に江戸に出て、当時、浮世(うきよ)と呼ばれた江戸のちまたの庶民風俗を描き、また独自の発想と絵画様式で、「浮世絵」というそれまでにない絵画ジャンルを切り開きました。師宣が描いた様々な絵本の中には、彼の経歴を紹介した序文などが記されているものもあります。

「大和武者絵」の序文には、「爰(ここ)に房州の海辺、菱川氏という絵師、船のたよりをもとめてむさしの御城下にちっきょして、自然と絵をすきて、青柿(あおがき)のへたより心をよせ、和国絵の風俗、三家の手跡(しゅせき)を筆の海にうつして、これにもとづいて自ら工夫して、後この道一流をじゅくして、浮世絵師の名をとれり」とあり、幼い頃から絵が好きで、独学で自分の流派を築いていったことがわかります。

もっとも知られた肉筆美人画「見返り美人図」は、当時の江戸の女性の最新のファッションや髪形
を取り入れ、ふと振り返った流れるような体の線で女性らしさや、粋(いき)な元禄文化の華やかさを演出しています。落款は「房陽菱川友竹筆」。友竹(ゆうちく)は最晩年の号。故郷房州保田を愛した師宣の名作です。

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保田に生まれた菱川師宣は、浮世絵の創始者として江戸で名をはせました。しかし、少年時代を過ごした保田には、特別な思い入れがあったようです。肉筆画の落款(らっかん)には「房陽(ぼうよう)」「房国(ぼうこく)」と肩書きし、房州生まれの絵師であることを誇りとし、また長男には房州の房をとって師房(もろふさ)と名づけています。別願院(べつがんいん)は、通称は浜の寺と言い、菱川家の菩提寺(墓寺)でした。

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(別願院・師宣の墓)

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(別願院梵鐘・師宣寄進)

元禄7年(1694)6 月 4 日、江戸で亡くなった師宣は、浅草の誓願寺(せいがんじ)の支院徳寿院(とくじゅいん)で葬儀が行われましたが、そこには墓はありません。故郷の別願院に墓が建てられたと推測されます。しかし、師宣の死後、元禄 16年に起こった元禄の大地震と大津波で房総沿岸は打撃を受け、別願院も流失、墓石も海中に没したと思われます。現在の墓は、後に再建されたもので、昭和 2 年に浮世絵研究家の東京の井上書店主らによって建てられたものと、氏によって建てられたものです。戒名は「勝誉即友居士(しょうよそくゆうこじ)」。師宣は亡くなる一ヶ月前、別願院に、梵鐘(ぼんしょう)を寄進しています。家系図も刻まれたこの梵鐘は太平洋戦争中、金属回収令により供出され、今はありません。復元されたものが菱川師宣記念館前にあります。
(鋸南町歴史・文化案内書より、画像はここから)

本日入荷の寿司種です。(入荷が少ないものは、早めに無くなるものもございます)

カツオ、アワビ、アジ、ヒラメ、ギラ、クロムツ、メジマグロ、真鯛、花鯛、甘鯛、金目鯛、キス、サワラ、イワシ、サバ、コハダ、サザエ、、地たこ、ヤリイカ、煮アナゴ、赤貝、自家製玉子焼き、ウニ、イクラ他

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(アナゴ寿司)
皆様のご来店をお待ち申し上げます

らかん寿し松月HP
ご予約はこちらからお願します。
お急ぎの場合は、電話でご予約をお願いします。(メールでの返事は時間が掛かります。ご了承ください)
TEL:0470(55)1004
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posted by らかん at 09:47| Comment(2) | 保田の歴史、文化

2016年11月21日

鋸南町勝山は房総の捕鯨の発祥地、鯨のたれも旨い

鋸南町の気温は15℃雲り

千葉県房総半島で捕鯨が行われたのは江戸慶長17年、鋸南町勝山がその発祥地と言われてます。(勝山の歴史)捕鯨技術の進歩につれ根拠地も勝山から房総各地に移り現在は捕鯨基地で和田町が有名ですが、実は鋸南もくじらでの町おこしを頑張っています。

当店も鯨のたれを酒の肴で供していますが、これがお酒のつまみに美味しいと評判です。

「鯨のたれ」とは、鯨肉を醤油に漬け込み干してあるものです。昔は塩味で固く干したものでしたが、今は程ほどに軟らかく干してあり、さっと焼いて食べます。

(鯨のたれのおいしい食べ方)
ガスや炭火に網を乗せ、その上で鯨のたれを焼きます。美味しく焼く秘訣は、肉を焼きすぎない事です。鯨肉の表面に脂がジュクジュクと現われてきたら良い頃合です。片面にその脂が現われたら、裏面はホンの少し火を通すくらいで十分です。焼きあがったら、手で食べやすいように割いて、好みで醤油、七味、マヨネーズ等で頂きます。

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(くじらのたれ、醤油とマヨネーズと七味和え)

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日本では商業捕鯨モラトリアムが発効して以降、1987/88年から南極海で、1994年から北西太平洋でそれぞれ鯨類捕獲調査を行っています。 国際捕鯨取締条約第8条の規定に従って、日本政府からの特別許可の下、(一財)日本鯨類研究所が実施しているもので、鯨類の資源管理に必要な科学的情報の収集を目的としますが、国内で流通する鯨肉の大半はこの捕獲調査の副産物です。
調査について詳しくは同研究所のホームページ(http://www.icrwhale.org/)をご参照ください。

その他、 網走、石巻、南房総、太地、函館では沿岸小型捕鯨が行われています。現在でも捕鯨は地域共同体の中で、社会・経済・文化的に重要な意味を持ち、米国やロシアの先住民捕鯨と同様の性格を有しています。ところが国内で商業捕鯨モラトリアムが発効して以来、沿岸小型捕鯨地域ではそれまで主要な捕獲対象であったミンククジラの捕獲が行えなくなりました。現在は、IWCの管轄外のツチクジラ、ゴンドウクジラ類の捕獲を日本政府の管理のもとで行っています。沿岸小型捕鯨の年間捕獲枠(平成26年度)はツチクジラ66頭、タッパナガ36頭、マゴンドウ36頭、オキゴンドウ20頭と厳しく制限されています。
日本捕鯨協会

本日入荷の寿司種です。(入荷が少ないものは、早めに無くなるものもございます)

アワビ、アジ、ヒラメ、ギラ、クロムツ、メジマグロ、真鯛、花鯛、甘鯛、金目鯛、キス、サワラ、イワシ、サバ、コハダ、サザエ、カツオ(勝浦産)、地たこ、ヤリイカ、煮アナゴ、赤貝、自家製玉子焼き、ウニ、イクラ他

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皆様のご来店をお待ち申し上げます

らかん寿し松月HP
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posted by らかん at 07:39| Comment(0) | 酒の肴