2015年06月20日

キャンプストアー

大正から昭和にかけて、訪れる避暑客の殆どが、貸間を借り切って一家揃ってやって来た。女中を連れて、一月近く滞在する人も珍しくなかったそうだ。台所を借りて自分たちで食事の仕度をする人もいた。互いに親戚づきあいのようなもので、子供達も一緒になって遊んだという。「房州の言葉で話すと、東京から来た子供達には通じないから、自然に向こうの言葉になっちゃうんですね。」

昭和5年には明治製菓が、昭和9年には森永製菓が直営のキャンプストアーを出店すると保田の夏も一層賑やかなものとなった。

とにかく、このキャンプストアーは立派な建物で、もちろん夏だけだが、大きな舞台もセットされ、400人近くの人が入場できたという。映画が上映されたり、有名俳優が出演したり、毎日様々な催し物が行われた。明治と森永が互いにライバル意識を燃やして火花を飛び散らしていたそうだ。保田のにぎわいも戦時中を抜かし戦後も続くが、今はひと頃の花々しさは無くなった様だ。「駅前通りは夜になると人で一杯でね。」とも言うし「下駄のカラコロという音がうるさくて、電話の音もろくに聞こえなかった。」ともいう。

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【TamTam 昭和53年9月Vol.7 63 特集=内房線各駅停車@ ほた】より
posted by らかん at 20:00| Comment(0) | 保田の歴史、文化
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