2016年02月20日

ミサゴずしの伝承(2)

鋸南町の気温は4℃ 晴れ 夕方から雨の予報です。
2016年2月20日(土曜日)
旧暦:2016年1月13日 先勝

早咲きの頼朝桜『竹灯篭まつり』開催中です!

本日は、「篠田統著 すしの本」より「ミサゴずしの伝承」の続きです。

古代日本のすし
ミサゴずしの伝承(2)

だいたい、魚のようなたんぱく質を塩と一緒に漬けて置いたら、よほど油の濃いものでない限り、自家消化でアミノ酸が遊離してきて塩辛にこそなれ、酸しと言われるほど有機酸が生成するはずはなく、魚油が分解したなら一応酸味はできようが、舌をさすような味で食用にはなりそうにもない。どうも、ミサゴずしの話は都人の几の上での創作のように思える。

「蛸竹」の阿部老人は別の伝承を話された。淡路に老夫婦がいて、いつも自分たちの残飯をミサゴにほどこしていた。この残飯とミサゴが取ってきた魚と、海の塩水とですしができたのだという。これなら理屈は一応は通る。しかし、バリバリの肉食鳥なるミサゴに海岸住まいの人間が米の飯をやるなんて、そもそもからおかしい。飯がはいらぬと酸くならないことに気が付いた誰かが旧来の伝承の「合理化」を試みたのではあるまいか。

いずれにせよ、こんな話をいくらほじくり回してもキリが無い。ただのお話として片付けて置く方がよさそうだ。私自身、日本のすしは悠久の昔に大陸からイネが渡来したとき、それと一緒に伝わった魚類加工法の一つだと考える。

元来は山奥のもので、川魚を材料にしていた事は今までに述べてきた。【延喜式】にきめられたすしを貢納する国々を地図でみると、北九州に始まって順次東方へと、イネの伝播経路に沿い、アユが産出するほどの大きな川のあるところに沿っている事がわかる。それが、馴れずしから生成や早ずしが生まれてくると、日本人の魚好きと相まって真新しい海魚のすしも漬けられ、ついには生魚そのものが握られるようになったものだろう。

大宝2年(702年)施行の大宝令は今日全文は伝わらないが、その第一次改訂なる『養老令』が残っているし、『令義解』、『令集解』などの令文の注釈書などによっても原型をだいたい復元できる。その中の【賦役令】の中に、若し雑物を輪するならば・・・鰒鮓二斗、貽貝鮓三斗・・・雑鮓五斗近江鮒五斗・・・の文がある。義解には注を施し「鮨は鮓のことなり」といっているが、令のころはすしには正字である鮓の字のほうが多く用いられていた。とまれ、記、紀、万葉にはすしの記事が見えないから、この一条はわが国のすしに関するいちばん古い文献だといえよう。

イガイやアワビは分かるが、雑鮨とは何だろう。正倉院文書の一つである「但馬国正税帳」(739)によると、難波宮造営の為はるばる但馬国から駆り出された人夫たちの食糧として「雑鮨五斛」が与えられている。どうも川雑魚のすしらしい。(続)
(すしの本、篠田統著より)

本日入荷の寿司種です。(入荷が少ないものは、早めに無くなるものもございます)

砂フグ、ヒラメ、サワラ、甘鯛、真鯛、又木産の金目鯛、シロメ昆布〆、春子鯛、タチウオ、サヨリ、アジ、いわし、サバ、カンパチ、コハダ、地たこ、いか、煮アナゴ、煮ハマグリ、サザエ、アサリ、アワビ、赤貝、自家製玉子焼き(有精卵使用)、初カツオ、クロマグロ、ウニ、イクラ醤油漬け、他

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(地元産たこ寿し、塩で供します。甘みが増して美味)

皆様のご来店をお待ち申し上げます。
らかん寿し松月HP
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お急ぎの場合は、電話でご予約をお願します。TEL:0470(55)1004
posted by らかん at 08:57| Comment(0) | 寿司の歴史と雑学
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