※ご来店時はご予約をお願いします。
水仙の開花状況は、こちらです。
または、をくづれ水仙郷&佐久間ダム湖です。
気温が高いので、お客様の話では水仙の花も良く咲いているようです。
カンサワラ(寒鰆)
スズキ目サバ亜目サバ科
寒くなると脂がのり甘みが増す今の時期のサワラをカンサワラ(寒鰆)といいます。益々、旨味が増して、お客様から美味しい!と喜びの声が聞こえてきます。海水温も下がってきたので、海の魚たちも餌をたくさん食べて、旨味が増して脂ものっています。

特に寒鰆は脂の乗ったサンマやイワシを餌に成長するので、EPAやDHAが非常に多くDHAはサンマより多く栄養価が高いです。脂肪が14〜16%もあり、インドマグロの様にトロリとした食感と旨味があります。

(寒サワラ寿し、脂がのっています)
すしの字考(すし風土記より)
どういうわけか、私達の先祖はすしの字を古くは鮨、次には鮓、そして再び鮨と使い分けている。
もし、鮓と鮨の区別を尋ねられて書き分けの歴史をも含めて、すぐに正確に答えられる方は、学者かそうでなければ、余程のすし好きに違いない。
鮓と鮨とは、いったい基本的にどこが異なっているのだろう。文字の国、中国の辞書をまず調べる必要があろう。
中国で、史上二番目の辞書「説文」には、「鮨は魚の塩辛である」と記し、中国で三番目の辞書「釈名」には、「鮓とは塩と米で醸すつけものに似ている」と記録している。つまり、「鮨と鮓の区別は?」と問われたら「魚偏に旨の方はシオカラ」「乍の方はすし」と答えておけば無難だろう。
ところがどうしたわけか、平安時代の人たちは、その塩辛の方の字をすしに使ってしまった。「延喜式」のすしも鮨、「今昔物語」など記録文字のすしの字も、すべて鮨。
この時代のすしは、近江の鮒ずしのような馴れずしばかりゆえ、馴れずしイコール鮨と考えておこう。
時代が下がって、元禄(1688〜1704年)から安永(1772〜1781年)にかけての俳句を調べてみると、芭蕉一門の去来や惟然は、鮨と鮓の両刀使いだが、蕪村の句のすしの字はすべて鮓に限っている。
蕪村が句によんでいるすしは、主として、一夜ずし、すずめずしだから、すし学上は蕪村の句は生成をよんだと考えて良い。
去来や惟然の句の中には、生成と馴れずしとの二種がある。馴れずしには鮨の字、生成には鮓を使い分けていた形跡がある。つまり、飯と魚をともに食べる生成の発明が、鮨の字を廃して鮓の字を使い始めた理由と見なしてよいだろう。
さらに時代が下がって、江戸時代の末期から明治、大正にかけては、川柳も俳句も文字も再び鮨の字を使い始める。
酢を使った早ずしが発明されたのは、江戸時代の延宝(1673〜1681年)のころのこと。それまでのすしは生成だから、「今日ヨリ幾日経テ取リニ来給へト云フニヨリ、コレヲオヂャレズシト云ヒ・・」ということになる。
そのオヂャレズシが酢を使うすしの発明によって、「直ニ出来ル故ニ、マチャレズシト云ヒ、又早鮓トモ云フナリ」と、「難波江」の著者は記している。
ところで、この時代には、「元来スシハ・・飯と魚トヲマゼテ置クニ日数経レバオノヅカラスミノ出ヅルモノニテ、酢ヲ加ヘテ製スルモノニアラズ、鮨ノ字ヨリハ、鮓ノ字ノ方ヨロシ」(難波江)とある。要するに、生成には鮓の字がよろしいとの判断である。この判断は、蕪村の句が鮓の字を使っている事実とも一致している。
では、なぜ江戸時代の末期以降に、ふたたび鮨の字を使い始めたのだろう。
理由は一つしかないだろう。握りずしの発明と普及である。江戸っ子が握りずしを発明して、江戸の町に握りずしが普及し始めるとともに、川柳子も鮨の字を使い始め、明治に入るとともに、俳句も文字も、ほとんど鮨の字を使っている。
(すし風土記C 近藤弘著・昭和49年)
本日の寿司種です。(ご来店時は、ご予約をお願いします)
アマダイ、タチウオ、カンパチ、シマアジ、金目鯛、真鯛、花鯛、サワラ、コハダ、赤貝、アオリイカ、クロムツ、アジ、アナゴ、ウニ、サバ、サザエ、アワビ、たこ、ヒラメ、自家製玉子焼き、他
(魚介は全て天然物です)
皆様のご来店をお待ち申し上げます
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らかん寿し松月HP
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