2018年07月27日

歯ごたえと甘みのあるダルマイカ

鋸南町の気温は27℃ 曇り

ダルマイカ(剣先烏賊)

地方によっては、白イカや赤イカと呼び名がかわりますが、赤みをおびた丸みのあるイカです。身の歯ごたえや甘みの好きな方にダルマイカのファンは多いです。

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(ダルマイカ寿司、甘みがあってシャキシャキとした噛みごたえが美味しい)

イカに含まれる栄養は、ビタミンE・タウリンが多く、亜鉛・DHA・EPAも豊富です。消化しにくく、胃もたれの原因と思われがちですが、消化率は他の魚類とほとんど変わりません。

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(ダルマイカ、皮目は赤みが強い)

すしと日本人

すし好きにとってうれしいことには、すしの楽しみは食べることだけではない。むしろ食べない楽しみの方が大きいかもしれない。食べない楽しみ?そのとおり。たとえば、すしを通して日本史を勝手に推理する楽しみ。それがまた、こたえられない。その楽しみを箇条書きにしてみよう。

(その一)日本人はなぜ鮨、鮓の字を”すし”と読んだのだろう?すしは大陸渡来の食物だ。古代の中国では、鮓は「サ」、鮨の方は多分「キ」と読んだはず。それをなぜ「すし」などと読んだのだろう。
すしとは、「酸し」の意味であるとは、江戸時代の碩学、新井白石先生の解釈である。おそらく白石先生の説は正しいだろう。「和名抄」(日本最古の辞書)には鮨を「須之」と読んでいる。私達の祖先が「酸し」という味覚文化を持っていればこそ、中国では「サ」と呼んだ代物を、「すし」と呼んだのに違いない。

(その二)日本列島の古代のすしには、推理すればするほど辻つまの合わない点が多い。一体、すしは日本列島にいつごろ渡ってきたのだろう?弥生文化時代に渡ってきたのだろうか。これを否定する証拠はいくらでもある。では、奈良時代前後の、大陸との活発な文化交流の結果だろうか。決してそうではない。

(その三)平安時代のすしのメニューを調べてみると、ホヤずしが含まれている。ホヤはご承知のとおり、現在では、東北地方の人の好物。冷水を好むホヤの、しかもそのすしの味を、なぜ平安時代の、それも京都の住人たちが好んだのだろうか。

(その四)すしの字を調べてみると、平安時代には鮨、室町時代から江戸時代の中ごろまでは鮓。そして江戸時代の末期から明治にかけては鮨。なぜこうも字を取り替える必要があったのだろう。

すしについての推理は、数えあげてゆけば、まだまだ限りない。例えば、アジア大陸のすしは、すべて乳酸系のすしだが、日本列島では、乳酸ずしは言うに及ばず、乳酸・コハク酸ずし、アルコールずし、酢酸ずしとあらゆるすしが揃っている。すし文化を分子レベル(分子の大きさ)で並べてみて乳酸からアルコールを経て、酢酸までのすべてのすしを、一そろい持っている民族は日本民族だけ。味覚文化は、高分子から低分子の方向へ進歩する傾向を確かに持っている。しかし、日本列島のすし文化ほど、その傾向がはっきりと現われる食文化も珍しい。その理由は一体どこにあるのだろう。

考えてみれば、もとは魚だけ食べることを目的としたすしが、室町時代を境に、急に飯と魚を食べるすしに発達した理由も面白そうだ。江戸時代の末期に、江戸っ子が酢を使うすしを発明した理由も、推理の材料になるだろう。麹を使う、いわゆるイずしが日本海沿岸に広く存在する事実は、日本海文化を推理する材料になろう。鹿児島には独特のすしがあるが、沖縄列島には独特のすし文化は存在しない。この問題の推理を進めてゆけば、沖縄列島にいつごろ日本人が南下したかを探る重要な資料となるかもしれない。(続く)

(すし風土記 近藤弘著 昭和49年発行)
すしの歴史

本日入荷の寿司種です。(入荷が少ないものは、早めに無くなるものもございます)

ヒラメ、シンコ、サワラ、サヨリ、マゴチ、イナダ、イサキ、カマス、タチウオ、キス、カツオ、トコブシ、春子鯛、アオヤギ、花鯛、真鯛、金目鯛、煮アナゴ、アワビ、サザエ、アジ、生サバ、シメサバ、イワシ、コハダ、地たこ、ダルマイカ、ウニ(北海道、竹岡)、自家製玉子焼き、他
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2018年07月16日

玉子寿しとその歴史

鋸南町の気温は27℃ 晴れ

玉子の寿し

過去に「魚貝の寿しの中に何故、玉子の寿しがあるのか?」という質問を某TV番組のスタッフから質問をされた際に答えたものですが、玉子寿しの由来について、はっきりとした文献はありません。しかし関西の寺で出されていた精進料理の箱寿しに供されていた玉子焼きが最初と言われます。江戸後期、箱寿しから握り寿しが主流になり、刻んだ玉子が握りの玉子へと形が変わったという事でしょう。

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「すしは三都とも押鮓なりしが、江戸はいつごろよりか箱ずし廃し握りずしのみとなる。箱ずしの廃せしは五.六十年以来成り、箱ずしというは、方四寸ばかりの下図のごとき箱に飯を塩と監を合せ、まず半分入れ、しょうゆ煮の椎茸を細かに切りこれを入れ、また飯をのせ下図のように玉子焼き、タイの刺身、アワビの薄片をのせ、縦横十二に切る。横四つ縦三つ、おおよそ十二片とする。
中央の四隅は玉子で、黒きはしいたけ、白きはタイのさしみまたはアワビの片身である」
『守貞謾稿』(1853)より

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『守貞謾稿』鮓の図

握りずしの出現は、江戸後期の文政年間(1818−30)で、当時、忙しい商人が早く食事が出来るようにと早寿しが握りすしの主流になりました。

『守貞謾稿』には、握りずしの種類として、鶏卵焼・車海老・海老そぼろ・白魚・まぐろさしみ・こはだ・あなご甘煮が記載されています。また、「鯛・鮃(ひらめ)は肉白く、鮪の属は赤肉なり。この赤白二種を並べ盛るを作り合せといふ」とあります。

このように、見た目の色合いの美しさを演出したり(鮪の赤、白身の白、玉子の黄)、当時江戸でも流行りだったカステラ(16世紀の室町時代末期にポルトガルの宣教師によって平戸や長崎に伝えられたとされる)のようなデザートとしての役目もあったと思います。

当時は、肉は食用禁止だったが、二本足は許されていたので魚だけではなく、江戸の職人が工夫して焼いた玉子の寿し(魚をほぐして入れたり工夫があった)を作ったのでしょう。

※肉食禁止は、大乗仏教の影響がありました。大乗のいくつかの経典で肉食禁止が説かれますが、最も有名なのは大乗の『涅槃経』でこの経典は、一切衆生に仏性があると説き非常に影響力がありました。その中心的思想から肉食の全面禁止が打ち出されましたが、でも庶民は隠れて肉を食べていたようです。見つかると処罰は厳しかったようですが。

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握りのたまご寿しの形は、江戸時代、カステラは長崎で作られていましたが、やがて江戸でも作られるようになり江戸の住民に親しまれていました。幕府が京都の勅旨を接待する際には、カステラが出されていたとの記録が残っているようです。この影響で、箱寿司に使われていた刻んだ卵焼きを握りにする際のヒントになったと思われます。

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※カステラの製法は江戸時代の製菓書・料理書に数多掲載され、茶会でも多く用いられた。その一方で、カステラは鶏卵・小麦粉・砂糖といった栄養価の高い材料の使用から、江戸時代から戦前にかけて結核などの消耗性疾患に対する一種の栄養剤としても用いられていたこともある。

本日入荷の寿司種です。(入荷が少ないものは、早めに無くなるものもございます)

サワラ、サヨリ、シンコ、マゴチ、イナダ、イサキ、カマス、タチウオ、キス、カツオ、トコブシ、春子鯛、アオヤギ、花鯛、真鯛、金目鯛、煮アナゴ、カレイ、ヒラメ、アワビ、サザエ、アジ、生サバ、シメサバ、イワシ、コハダ、地たこ、ダルマイカ、ウニ(北海道、竹岡)、自家製玉子焼き、他
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タグ:玉子寿し
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2018年06月18日

自家製玉子焼きは江戸前寿司の基本です。

鋸南町の気温は21℃ 曇り
※大阪、京都で大きな地震が発生しました。皆様がご無事でありますようにを心よりお祈り致します。

自家製玉子焼き

近頃では、自家製の玉子焼きを握るすし店が少なくなってきました。すし店のオーナーとは別に雇われた職人がいるすし店では、職人が変わると、その都度、玉子焼きの味が変わるのは困るので、市販の玉子焼きに依存してしまうわけです。当店は、元々が日本料理店なので、だし巻き玉子は当たり前の仕事です。代々自家製のだし巻き玉子焼きの味が継承されています。

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昭和50年初版『すし技術教科書』より
今日、玉子焼きといえば、大半が、族に『河岸玉』とか『すし玉』などという、魚河岸や市場で売っている玉子焼きを使用している。玉子焼きは、光もの、煮ものとともに、昔は江戸前ずしの基本をなす仕事であり、どこの店でも欠かす事のできないものであった。

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味付けが複雑なうえに、焼き上げの技術も難しいところから、『玉子焼きを食べれば、その店のすしの良し悪しがわかる』と、よく言われたものである。それだけにどこの店でもそれぞれに工夫を凝らして、自家製の玉子焼きを作っていた。

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現在、すし店で使う玉子焼きを大別すれば、生身(魚のすり身)を入れる厚焼き玉子と薄焼き玉子、生身を入れぬだし巻き玉子と薄焼き玉子の4種類に分けられる。

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このうち、生身を入れぬ薄焼き玉子は、普通に切って握る以外に、柏玉子と言って、すし飯を柏もちのように包むやり方でも使われていた。今日では、ごくわずかのすし店に、その伝統が生きているだけであるが、この薄焼き玉子は、卵にみりん、砂糖、塩を加え、さらに醤油を2〜3滴加えるか、それにだし汁を少量加えて、厚さが3ミリから5ミリ程度に焼くものである。三本箸を使ってひっくり返して焼くのだが、薄くて崩れやすいので中々難しい仕事であったと伝わる(倉田華太郎氏談)。

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生身入りの玉子焼きの場合は、入れる魚の種類によってもう一つ味を左右するという問題も生じる。
厚焼き玉子は、現在市販されている厚焼き玉子に似たもので、昔のすし店で一般に焼かれていたのは、厚焼き玉子であった。その基本は、すり身が良く混ざり、玉子がもろもろにならぬように、炭火でふっくらと弾力豊かに焼き上げることにあった。

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これに対して、生身を入れぬだし巻き玉子は、元々は日本料理の仕事ゆえに、すし店ではほとんど使われなかったと言われる。

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しかし、近年は、すし店にぽつぽつと数を増してきて、自分の店で焼く玉子焼きは、昔とは逆にだし巻き玉子が主流になってきた。このような傾向は、市販品の厚焼き玉子の平均化された味を嫌い、その店独自の味を、だし巻きで工夫しているだけに、伝統の真の継承が伺える。

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本日入荷の寿司種です。(入荷が少ないものは、早めに無くなるものもございます)

岩牡蠣、キス、バイガイ、シッタカ、カツオ、トコブシ、春子鯛、アオヤギ、花鯛、真鯛、甘鯛、金目鯛、煮アナゴ、カレイ、アワビ、サザエ、アジ、生サバ、シメサバ、イワシ、コハダ、地たこ、ダルマイカ、ウニ(北海道、竹岡)、自家製玉子焼き、他
(魚介は全て天然物です)

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posted by らかん at 09:28| Comment(0) | 寿司の歴史と雑学