2020年08月03日

宮城閖上産の赤貝が旨い!

鋸南町の気温は23℃ 晴れ
※ご来店時はご予約をお願いします。

赤貝

過去には東京湾江戸前の海で赤貝は多く獲れたので、江戸前寿しの代表的な寿しネタでしたが、今は数が少なくなり、輸入ものに頼っている所が多いです。でも、宮城閖上産の赤貝と輸入物では旨さに雲泥の差があります。

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(赤貝寿し)

宮城県名取市閖上港に上がる赤貝は閖上(ユリアゲ)と言い、都内では一番高値で取引されています。身もふっくらとして肉厚で非常に美味しいです。
夏の初めに産卵期を迎えるので、秋から春にかけて身が厚くなって旨さが濃くなります。

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この貝は、血液中に人間と同じヘモクロモーゲンと呼ぶ色素を持っているため人間の血液に似て赤いので赤貝と呼ばれる。(和名類聚抄より)

東京ずし雑話

東京江戸橋「吉野鮨」主人 吉野f雄さんは、このごろは店を息子に任せて、野口元夫としてもっぱら役者業に精を出しているが、すし学にも至極熱心な仁で種々面白い話をご存知だ。以下江戸前ずしについての同氏からの受け売りをすこし並べておく(文責在篠田)

江戸前という言葉は元来鰻屋が言い始めたのを、江戸喰物重宝記に出てくる地曳きずしがまねして、すしにも使い出した。しかも、そのころから鰻屋は江戸前という字をあまり使わなくなったのでおかしな話だ。

亡父のいわくに、すし屋は役者よりもつらい。役者は幕間だけは自分の時間だが、すし屋はつけ場に立ったらトイレで座をはずす訳には行かない(手で握るものゆえ)。東両国に「福ずし」という小さな店があったが、夜の11時までは立ちづめだからとて、3時ごろからは水っぽいものは一切絶った由である。すし屋はこれだけの覚悟がなければいけない。

昔はすし職人は座っていて、客は立ったままだった。それで、目の前に来るお客の口の中をのぞき、舌の上に残る飯の量でその炊け具合を判断した。上手に炊けていたら、一口で舌の上には殆ど米粒は残らないはずである。
魚が新しくて飯が良く炊けていれば、すしが旨いのは当然だ。屋台で二つ三つつまみ、二、三丁歩いて「アアうまかった、満腹した」ではいけない。「もう一つ食いたいナ」と後戻りするくらいがいいのだ、とも言っていた。

すしは、たとえ握りずしでも、馴れる時間が必要だ。握るそばから食べていくのは屋台店のことで、1軒の店をもつ以上、出前で配達して行った丁度そのときに旨くなければいけない。この頃のように、ちゃんと一軒の店を構えていながら、握るそばから食べるナンて風は、大正12年の東京大震災以後の話だ。あれで、屋台店がなくなって、一軒の店を構えるのは良いが、屋台店の風まで店に持ち込んじゃったのだ。(文責在篠田)

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(にぎりずし創業者・花屋與兵衛も家系「両国與兵衛」の明治初期のにぎりずしの図)

このすしの絵はまだ江戸の香りも去りやらぬ明治10年前後の東京にぎりずしの面影を伝える貴重な資料である(吉野f雄)

本日入荷の寿司種です。(ご来店時は、ご予約をお願いします)

赤貝、コチ、カツオ、カレイ、カマス、イサキ、クロムツ、アカムツ、トコブシ、アオリイカ、赤貝、アジ、アワビ、金目鯛、コハダ、タチウオ、たこ、ハマグリ、花鯛、煮アナゴ、サザエ、ウニ(竹岡)、自家製玉子焼き、他
(魚介は全て天然物です)

皆様のご来店をお待ち申し上げます

コロナウィルスに最強に有効な除菌スプレーをご紹介します。(管理人も愛用しています)
※午後7時以降のご来店はご予約をお願いします。
らかん寿し松月HP
ご予約はこちらからお願します。
お急ぎの場合は、電話(0470551004)でご予約をお願いします。(メールでの返事は時間が掛かります。ご了承ください)
TEL:0470(55)1004
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2020年03月22日

江戸時代のにぎり寿し1貫の大きさは78g位でした。

鋸南町の気温は13℃ 曇り

江戸時代、寿司1貫は現代の2個の握りより大きかった?

いつのまにか、寿しの注文が1貫2個から1個に変わってしまいました。さて、何故1貫2個というのでしょうか?様々な理由がいわれますが、はっきりとは断言できないようです。ただ昔はにぎり1貫(1個)の大きさが今より大きかったので、食べやすいように今は2個になったといわれるようです。注文時は1個、2個で注文されると良いです。(当店は、現在は1貫1個です。)

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太平洋戦争前後、食料供給安定の為として政府により様々な食料統制が行われた時代がありました。
一時は東京都内には4000店ほどの寿し店が営業をしていましたが食料不足等で営業が困難になり多くの店がやめていきました。特に1947年の【飲食営業緊急措置例】は、飲食業を禁止とするというものでさらに多くの寿司屋は店をやめる事を余儀なくされました。

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生活が困窮し不安な日々の中で生まれた妙案が、握りずし6個と海苔巻き4個の計10個とお客様が持参した米一合とを交換して寿司屋はタネ代と加工賃等を得るという方法でした。

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これは「飲食業」ではなく委託加工制度であるとの主張を当局に掛け合い認めさせたそうですが、これを考えた人はわかりませんが、実行したのは東京で永い間手広く営業していた八木輝昌氏(関西出身)を中心とした有志の寿司屋何人かということです。八木輝昌氏達の当局への熱心な交渉により許可が出て握りすし業だけは営業可能となりました。

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こういう状況下で、他の飲食業は商売を闇のなかで行うこととなり、寿司屋は正当な商売となりました。

さらにこの委託加工制度の対象は握りずしに限られていたので、全国のすし屋が商売を継続するために握り鮨組合に加入したので、東京中心の握りずしが全国に普及することになったようです。

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(アジ寿し)

基本は握りずし6個と海苔巻き4個の計10個が米1合ということですから、江戸から続いていた寿司屋は、当時の重さでいうと1貫=3.75kg=1升=10合..1合=375gです。1個の米の重さは、37.5gです。寿司飯にすると78g位で握っていたのでしょう。(米の炊き増え率は210%:375g*2.1=787.5gが1合の白米/炊き増え率は米によってかなりの差が生じます)

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(金目鯛寿し)

今は、1合は大体150-160g位ですし、炊き上がりますと330g位です。10個のすしをこれで握ると、1個の寿司飯の重さは33g位ですから、当時はさらに2倍近い大きさです。(今は小さめに握って下さいとご注文される方が多いです)現代では、1個のすし飯は、大体15〜18gです。これに種をのせて40〜50g位です。
当店では、種によっては70gになるものもあります。

鋸南町でも大変大きな寿司を提供される店(亀寿司)も過去には存在しました。無くなって寂しいです。
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江戸時代後期万延小判金1両 金0.5匁(1.892mg)=5万円=銀150匁=銭10貫文=(文=16.5円)
1貫=1000匁=3.75kg=1升=10合....1合=375g
江戸時代の寿司1貫(1個)の価格は8文132円だったということです。
(参考・http://www.teiocollection.com/kakaku.htm
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本日入荷の寿司種です。(入荷が少ないものは、早めに無くなるものもございます)

青柳、石鯛、カツオ、サワラ、サヨリ、ハマグリ、タチウオ、真鯛、金目鯛、煮アナゴ、ヒラメ、アワビ、アジ、締めサバ、シマアジ、コハダ、地たこ、アオリイカ、赤貝、サザエ、ウニ、自家製玉子焼き、他
(魚介は全て天然物です)

皆様のご来店をお待ち申し上げます

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2020年02月12日

玉子寿しとその歴史

鋸南町の気温は4℃ 晴れ
※14日(金)休業いたします。

玉子の寿し

玉子の寿しの由来について、はっきりとした文献はありません。しかし関西の寺で出されていた精進料理の箱寿しに供されていた玉子焼きが最初と言われます。江戸後期、箱寿しから握り寿しが主流になり、刻んだ玉子が握りの玉子へと形が変わったという事でしょう。

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「すしは三都とも押鮓なりしが、江戸はいつごろよりか箱ずし廃し握りずしのみとなる。箱ずしの廃せしは五.六十年以来成り、箱ずしというは、方四寸ばかりの下図のごとき箱に飯を塩と監を合せ、まず半分入れ、しょうゆ煮の椎茸を細かに切りこれを入れ、また飯をのせ下図のように玉子焼き、タイの刺身、アワビの薄片をのせ、縦横十二に切る。横四つ縦三つ、おおよそ十二片とする。
中央の四隅は玉子で、黒きはしいたけ、白きはタイのさしみまたはアワビの片身である」
『守貞謾稿』(1853)より

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『守貞謾稿』鮓の図

握りずしの出現は、江戸後期の文政年間(1818−30)で、当時、忙しい商人が早く食事が出来るようにと早寿しが握りすしの主流になりました。

『守貞謾稿』には、握りずしの種類として、鶏卵焼・車海老・海老そぼろ・白魚・まぐろさしみ・こはだ・あなご甘煮が記載されています。また、「鯛・鮃(ひらめ)は肉白く、鮪の属は赤肉なり。この赤白二種を並べ盛るを作り合せといふ」とあります。

このように、見た目の色合いの美しさを演出したり(鮪の赤、白身の白、玉子の黄)、当時江戸でも流行りだったカステラ(16世紀の室町時代末期にポルトガルの宣教師によって平戸や長崎に伝えられたとされる)のようなデザートとしての役目もあったと思います。

当時は、肉は食用禁止だったが、二本足は許されていたので魚だけではなく、江戸の職人が工夫して焼いた玉子の寿し(魚をほぐして入れたり工夫があった)を作ったのでしょう。

※肉食禁止は、大乗仏教の影響がありました。大乗のいくつかの経典で肉食禁止が説かれますが、最も有名なのは大乗の『涅槃経』でこの経典は、一切衆生に仏性があると説き非常に影響力がありました。その中心的思想から肉食の全面禁止が打ち出されましたが、でも庶民は隠れて肉を食べていたようです。見つかると処罰は厳しかったようですが。

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握りのたまご寿しの形は、江戸時代、カステラは長崎で作られていましたが、やがて江戸でも作られるようになり江戸の住民に親しまれていました。幕府が京都の勅旨を接待する際には、カステラが出されていたとの記録が残っているようです。この影響で、箱寿司に使われていた刻んだ卵焼きを握りにする際のヒントになったと思われます。

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※カステラの製法は江戸時代の製菓書・料理書に数多掲載され、茶会でも多く用いられた。その一方で、カステラは鶏卵・小麦粉・砂糖といった栄養価の高い材料の使用から、江戸時代から戦前にかけて結核などの消耗性疾患に対する一種の栄養剤としても用いられていたこともある。

本日入荷の寿司種です。(入荷が少ないものは、早めに無くなるものもございます)

カツオ、カワハギ、カンパチ、サワラ、サヨリ、クロムツ、コチ、ハマグリ、タチウオ、石鯛、真鯛、甘鯛、金目鯛、煮アナゴ、ヒラメ、アワビ、アジ、生サバ、締めサバ、コハダ、地たこ、アオリイカ、赤貝、ウニ、自家製玉子焼き、他
(魚介は全て天然物です)

皆様のご来店をお待ち申し上げます

※午後7時以降のご来店はご予約をお願いします。
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タグ:玉子寿し
posted by らかん at 10:44| Comment(0) | 寿司の歴史と雑学