2023年01月11日

すしの字考(すし風土記より)

鋸南町の気温は5℃ 晴れ

※ご来店時はご予約をお願いします。

水仙の開花状況は、こちらです。
または、をくづれ水仙郷&佐久間ダム湖です。
気温が高いので、お客様の話では水仙の花も良く咲いているようです。

カンサワラ(寒鰆)
スズキ目サバ亜目サバ科

寒くなると脂がのり甘みが増す今の時期のサワラをカンサワラ(寒鰆)といいます。益々、旨味が増して、お客様から美味しい!と喜びの声が聞こえてきます。海水温も下がってきたので、海の魚たちも餌をたくさん食べて、旨味が増して脂ものっています。

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特に寒鰆は脂の乗ったサンマやイワシを餌に成長するので、EPAやDHAが非常に多くDHAはサンマより多く栄養価が高いです。脂肪が14〜16%もあり、インドマグロの様にトロリとした食感と旨味があります。

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(寒サワラ寿し、脂がのっています)

すしの字考(すし風土記より)

どういうわけか、私達の先祖はすしの字を古くは鮨、次には鮓、そして再び鮨と使い分けている。
もし、鮓と鮨の区別を尋ねられて書き分けの歴史をも含めて、すぐに正確に答えられる方は、学者かそうでなければ、余程のすし好きに違いない。

鮓と鮨とは、いったい基本的にどこが異なっているのだろう。文字の国、中国の辞書をまず調べる必要があろう。
中国で、史上二番目の辞書「説文」には、「鮨は魚の塩辛である」と記し、中国で三番目の辞書「釈名」には、「鮓とは塩と米で醸すつけものに似ている」と記録している。つまり、「鮨と鮓の区別は?」と問われたら「魚偏に旨の方はシオカラ」「乍の方はすし」と答えておけば無難だろう。

ところがどうしたわけか、平安時代の人たちは、その塩辛の方の字をすしに使ってしまった。「延喜式」のすしも鮨、「今昔物語」など記録文字のすしの字も、すべて鮨。
この時代のすしは、近江の鮒ずしのような馴れずしばかりゆえ、馴れずしイコール鮨と考えておこう。

時代が下がって、元禄(1688〜1704年)から安永(1772〜1781年)にかけての俳句を調べてみると、芭蕉一門の去来や惟然は、鮨と鮓の両刀使いだが、蕪村の句のすしの字はすべて鮓に限っている。
蕪村が句によんでいるすしは、主として、一夜ずし、すずめずしだから、すし学上は蕪村の句は生成をよんだと考えて良い。

去来や惟然の句の中には、生成と馴れずしとの二種がある。馴れずしには鮨の字、生成には鮓を使い分けていた形跡がある。つまり、飯と魚をともに食べる生成の発明が、鮨の字を廃して鮓の字を使い始めた理由と見なしてよいだろう。

さらに時代が下がって、江戸時代の末期から明治、大正にかけては、川柳も俳句も文字も再び鮨の字を使い始める。

酢を使った早ずしが発明されたのは、江戸時代の延宝(1673〜1681年)のころのこと。それまでのすしは生成だから、「今日ヨリ幾日経テ取リニ来給へト云フニヨリ、コレヲオヂャレズシト云ヒ・・」ということになる。
そのオヂャレズシが酢を使うすしの発明によって、「直ニ出来ル故ニ、マチャレズシト云ヒ、又早鮓トモ云フナリ」と、「難波江」の著者は記している。

ところで、この時代には、「元来スシハ・・飯と魚トヲマゼテ置クニ日数経レバオノヅカラスミノ出ヅルモノニテ、酢ヲ加ヘテ製スルモノニアラズ、鮨ノ字ヨリハ、鮓ノ字ノ方ヨロシ」(難波江)とある。要するに、生成には鮓の字がよろしいとの判断である。この判断は、蕪村の句が鮓の字を使っている事実とも一致している。

では、なぜ江戸時代の末期以降に、ふたたび鮨の字を使い始めたのだろう。

理由は一つしかないだろう。握りずしの発明と普及である。江戸っ子が握りずしを発明して、江戸の町に握りずしが普及し始めるとともに、川柳子も鮨の字を使い始め、明治に入るとともに、俳句も文字も、ほとんど鮨の字を使っている。
(すし風土記C 近藤弘著・昭和49年)


本日の寿司種です。(ご来店時は、ご予約をお願いします)

アマダイ、タチウオ、カンパチ、シマアジ、金目鯛、真鯛、花鯛、サワラ、コハダ、赤貝、アオリイカ、クロムツ、アジ、アナゴ、ウニ、サバ、サザエ、アワビ、たこ、ヒラメ、自家製玉子焼き、他
(魚介は全て天然物です)

皆様のご来店をお待ち申し上げます

※午後6時以降のご来店はご予約をお願いします。
らかん寿し松月HP
ご予約はこちらからお願します。
お急ぎの場合は、電話(0470551004)でご予約をお願いします。(メールでの返事は時間が掛かります。ご了承ください)
TEL:0470(55)1004
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posted by らかん at 09:37| 寿司の歴史と雑学

2023年01月04日

すし飯の話


すし飯の話(すし風土記 近藤弘著より 昭和49年) 

すし飯には、どの店も人知れぬ苦心を重ねていた。炊き上がったご飯を半簠(ハンボ)に入れて、うちわで扇ぎ、粘りをとることも大切なコツの一つ。煽りながら混ぜる酢とニキリ(醤油、みりんにカツオ節を入れて、ちょっと沸かす)の量には、店それぞれの秘伝があった。

酢は、「寿司金」では、ミツカンの赤酢を使っていた。酢の量は米の一割から一分。つまり、米が二升なら二合から二合二勺。塩は米二升に15匁 前後。昔は20匁近く入れたとのこと。塩が多ければ酢のききは強い。昔の客は酢の強いものを好んだわけだ。

「震災前は、全部出前でしょう。おやじは出前のすしを握りたてと同じように、召し上がって頂くのに苦心してました。竹の小さな柄杓を小刀で削りましてね、お酢とニキリの混ぜ加減を決めるのにとても気を配ってましたねえ」と鈴木守さんの思い出である。

タネの味を生かすも殺すも飯の酢加減一つで決まるらしい。昔気質の職人は異口同音に、「今は楽になりましたねえ」という。
握ったものを目の前で召し上がってくださるし、タネは昔のように、煮物、酢の物でなくて、生で何を握っても食べてくださるし・・と、楽な理由を数え上げながら、ある職人は嘆いていた。「今じゃ、納豆をのりで巻いてもめしあがっちまいますからねえ。昔のお客さんに、そんなもの出したら、ひっぱたかれましたでしょうねえ」と。
(すし風土記 近藤弘著より 昭和49年)

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posted by らかん at 18:19| 寿司の歴史と雑学

イずしの故郷日本海

イずしの故郷日本海 

イずし。学者はイオずし(魚鮓)の略という。
キャベツ、にんじん、だいこん、かぶなどの野菜類を魚と一緒に漬け込むのがイオずしの特色である。
さらに漬け込みに麹を使うのもイオずしの特色。

使う魚は、ブリ、サケ、マス、イワシ、ホッケ、ハタハタ、にしん、アユ、キリギリ(ます、又はヤマベの子)、身欠きにしんなど。
身欠きにしんを除いた魚は、塩漬け、塩出しした上でイオずしに漬け込む。

麹をすしに応用したすしは、日本海地方にしか分布していない。
ブリをカブとともに漬け込む蕪ずしは、金沢に名物。
身欠きにしんを大根と漬け込むだいこんずしは石川県下一帯の名物。

サケ、マス、イワシ、ハタハタを各種の野菜とともに、麹と飯で漬け込むイずしは、秋田から津軽地方にかけての冬の風物詩である。

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鮭の飯寿司(いいずし)画像はこちらから

ハタハタの一匹ずしは、秋田では正月魚には欠かせない。
秋田では、ハタハタをトウジョ(冬至魚)と呼び、ハタハタの一匹ずしをショガツヨ(正月魚)などとも呼ぶ。仙北郡の奥地に行けば、落ちアユの腹に、山ワサビと酒粕をつめて、麹と塩でつけていた。

仙北地方では春になれば、今でもにしんをすしに漬けている。

イずしは、馴れずしから数歩前進したすし。
日本海地方の航海文化の名残を留めるすしと言ってよい。
(すし風土記。近藤弘著)

発酵の文化が花開いた地域には酒、醤油、味噌、寿司が地域の食文化になっているようです。
イカの塩辛・酒盗を酒粕漬けで仕込みました。味わってみてください。秋冬にはご提供いたします。

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posted by らかん at 18:13| 寿司の歴史と雑学