2022年11月18日

見返り美人画の菱川師宣誕生地は保田です。

鋸南町の気温は13℃ 晴れ

11月20日は休業いたします。

PXL_20221117_224135606.jpg

見返り美人画の菱川師宣誕生地

浮世絵師の菱川師宣は、本名は吉兵衛(きちべえ)といい、江戸時代初期の寛永中頃(1630 年頃)保田に生まれました。鴨川市出身の彫刻家・長谷川昂氏の制作によるブロンズ像です。菱川師宣記念館前に建っています。

hisi007.jpg
(見返り美人ブロンズ像)

千葉県指定史跡になっている菱川師宣の生家跡は国道127号線沿いにありますが、場所を確認してから訪ねたほうが良いです。右隣の建物は色々と名前が変わっています。今は保田食堂ですが、私の記憶では、あさや旅館、黒潮旅館、萬寿山、保田食堂と変遷しています。

p411-022.jpg
((指定日)昭和33年4月23日、所在地(所有者)安房郡鋸南町保田182(鋸南町))

hisi009.jpg
(菱川師宣誕生地の碑)

菱川師宣の生家跡で、千葉県指定史跡です。菱川師宣は、本名は吉兵衛(きちべえ)といい、江戸時代初期の寛永中頃(1630 年頃)保田に生まれました。生年は今だ確認されていません。父、菱川吉左衛門は、布地に刺繍(ししゅう)や金銀箔(きんぎんぱく)をほどこす縫箔師(ぬいはくし)。京都移住者と伝わる吉左衛門と、地元保田の岩崎家の娘、おたまが結婚し、生まれた師宣は、7人兄弟の3番目で、長男でした。

幼い頃から家業を手伝い、絵の才能を目覚めさせ、後に江戸に出て、当時、浮世(うきよ)と呼ばれた江戸のちまたの庶民風俗を描き、また独自の発想と絵画様式で、「浮世絵」というそれまでにない絵画ジャンルを切り開きました。師宣が描いた様々な絵本の中には、彼の経歴を紹介した序文などが記されているものもあります。

「大和武者絵」の序文には、「爰(ここ)に房州の海辺、菱川氏という絵師、船のたよりをもとめてむさしの御城下にちっきょして、自然と絵をすきて、青柿(あおがき)のへたより心をよせ、和国絵の風俗、三家の手跡(しゅせき)を筆の海にうつして、これにもとづいて自ら工夫して、後この道一流をじゅくして、浮世絵師の名をとれり」とあり、幼い頃から絵が好きで、独学で自分の流派を築いていったことがわかります。

もっとも知られた肉筆美人画「見返り美人図」は、当時の江戸の女性の最新のファッションや髪形
を取り入れ、ふと振り返った流れるような体の線で女性らしさや、粋(いき)な元禄文化の華やかさを演出しています。落款は「房陽菱川友竹筆」。友竹(ゆうちく)は最晩年の号。故郷房州保田を愛した師宣の名作です。

hisi005.jpg

保田に生まれた菱川師宣は、浮世絵の創始者として江戸で名をはせました。しかし、少年時代を過ごした保田には、特別な思い入れがあったようです。肉筆画の落款(らっかん)には「房陽(ぼうよう)」「房国(ぼうこく)」と肩書きし、房州生まれの絵師であることを誇りとし、また長男には房州の房をとって師房(もろふさ)と名づけています。別願院(べつがんいん)は、通称は浜の寺と言い、菱川家の菩提寺(墓寺)でした。

001hisi.jpg
(別願院・師宣の墓)

別願院梵鐘.jpg
(別願院梵鐘・師宣寄進)

元禄7年(1694)6 月 4 日、江戸で亡くなった師宣は、浅草の誓願寺(せいがんじ)の支院徳寿院(とくじゅいん)で葬儀が行われましたが、そこには墓はありません。故郷の別願院に墓が建てられたと推測されます。しかし、師宣の死後、元禄 16年に起こった元禄の大地震と大津波で房総沿岸は打撃を受け、別願院も流失、墓石も海中に没したと思われます。現在の墓は、後に再建されたもので、昭和 2 年に浮世絵研究家の東京の井上書店主らによって建てられたものと、氏によって建てられたものです。戒名は「勝誉即友居士(しょうよそくゆうこじ)」。師宣は亡くなる一ヶ月前、別願院に、梵鐘(ぼんしょう)を寄進しています。家系図も刻まれたこの梵鐘は太平洋戦争中、金属回収令により供出され、今はありません。復元されたものが菱川師宣記念館前にあります。
(鋸南町歴史・文化案内書)

本日入荷の寿司種です。(入荷が少ないものは、早めに無くなるものもございます)

ホウボウ、マハタ、メジマグロ、ヤガラ、サワラ、ヒラメ、煮ハマグリ、ギラ、真牡蠣、カワハギ、カツオ、クロムツ、カンパチ、真鯛、金目鯛、煮アナゴ、アジ、締めサバ、シマアジ、コハダ、地たこ、アオリイカ、赤貝、サザエ、ウニ、自家製玉子焼き、他
(魚介は全て天然物です)

皆様のご来店をお待ち申し上げます

※午後6時までにご予約をお願いします。
らかん寿し松月HP
ご予約はこちらからお願します。
お急ぎの場合は、電話(0470551004)でご予約をお願いします。(メールでの返事は時間が掛かります。ご了承ください)
TEL:0470(55)1004
Facebookもよろしくお願いします。

posted by らかん at 07:53| Comment(0) | 保田の歴史、文化

2019年07月26日

タコのすしと保田妙本寺(房総里見氏ゆかりの名刹)

鋸南町の気温は25℃ 晴れ
※8月4日(日)午後3時まで貸し切りです。

マダコ(真蛸)
マダコ科

地元のマダコは一年中獲れますが春から夏が柔らかく旨味が凝縮され絶品です。タコはアワビ、サザエ、伊勢えびなど高級食材をエサにしているので甘みも濃いです。

IMG_20190329_092912_470.jpg

IMG_20190329_092801_470.jpg

保田妙本寺(ほたみょうほんじ)

保田妙本寺(ほたみょうほんじ)は千葉県安房郡鋸南町吉浜にある寺院。日興の法脈を継承する富士門流に属し、第14世・日我の教義による「日蓮本仏論」を信奉する。静岡県駿東地方に分布する富士五山や、京都要法寺、伊豆実成寺とともに、同門流の興門八本山を構成している。その他の通称としては、千葉妙本寺、安房妙本寺、吉浜妙本寺なども用いられる。

吉浜の妙本寺は、日蓮上人から四代目の日郷(にちごう)上人が、吉浜の地頭、佐々宇左衛門尉(さそうさえもんのじょう)の招きにより、建武 2 年(1335)に創建された日蓮宗富士興門派(こうもん は)の本山のひとつです。昔は富士小泉久遠寺(くおんじ)を兼務し、遠く九州にまで末寺を多く抱える寺院で、歴代の住職の中には、朝廷に宗義天奏をとげ、御綸旨(ごりんじ)を賜るなど、天皇家とも深い関係を持っており、山門には菊の御紋も掲げられています。

220px-Hota_sanmon.JPG
(保田妙本寺山門)

戦国時代には、沿岸の高台という砦のような立地条件のため、房総の戦国大名里見氏と相模の北条氏との戦いでは、しばしば戦いの拠点として利用されました。妙本寺には北条氏の制札(せいさつ)が 5 通残っていますが、これは、北条水軍がたびたび房総に攻め寄せ、妙本寺に軍を駐屯させたことを物語っています。

妙本寺は里見氏と密接な関係を保ち得ましたが、そのきっかけは、天文 4 年(1535)、里見義堯(よしたか)と妙本寺 14 代日我(にちが)上人との出会いから始まります。お互いの学徳の高さに感銘した二人は、以後深い親交を続け、里見氏の庇護のもと、妙本寺は戦国乱世を乗り切りました。義堯の死の際は、日我上人は百日法要を営み、その死を悼みました。妙本寺の裏山の海上を見渡せる場所には、里見家臣が警護番として北条軍の襲来に備え、知らせの太鼓が置かれていたため、今でも太鼓打場(たいこうちば)という地名で呼ばれています。里見氏に関する古文書も多く残され、房総の戦国期の歴史を知る貴重な資料として注目されています。

250px-Hota_kyakuden.JPG
(保田妙本寺客殿)

その他、日蓮宗関係の寺宝も多く、日蓮直筆の「愛染不動感見記」(国指定重要文化財)をはじめ、小松原法難のときの受太刀「宗近(むねちか)」、宗門最初の等身御影(みえい・日蓮上人木像)、光明天皇、後土御門天皇の御綸旨など貴重な資料を有します。これらは、年一回、10 月 15日の虫干しのときに公開されます。

妙本寺客殿の向拝(ごはい)彫刻は、宮彫師後藤家の初代、後藤義光(よしみつ)の大作。回廊天井画は川名楽山の天女図などがあり、歴史的にも文化的にも見ごたえのある寺院です。

220px-Hota_kyakudennaijin.jpg
(客殿御宝前・日興上人本尊を安置)

(鋸南町教育委員会、菱川師宣記念館 、wikより)

本日入荷の寿司種です。(入荷が少ないものは、早めに無くなるものもございます)

アカムツ、マゴチ、シンコ、アジ、赤貝、アオリイカ、イワシ、カスゴ鯛、コハダ、キス昆布締め、クロムツ、サザエ、サヨリ、シマアジ、タコ、タチウオ、トコブシ、トラフグ白子、ハマグリ、ヒラメ、花鯛、真鯛、金目鯛、煮アナゴ、生サバ、海胆、自家製玉子焼き、他
(魚介は全て天然物です)

IMG_20190224_101317_470.jpg

皆様のご来店をお待ち申し上げます

※営業時間:午前11時〜午後8時30分(午後7時以降は要予約)
定休日:毎週木曜日
※休祝日・連休・お盆期間中はご予約の方を優先させていただきます。

らかん寿し松月HP
ご予約はこちらからお願します。
お急ぎの場合は、電話でご予約をお願いします。(メールでの返事は時間が掛かります。ご了承ください)
TEL:0470(55)1004
Facebookもよろしくお願いします
posted by らかん at 08:13| Comment(0) | 保田の歴史、文化

2019年07月17日

本日の寿司種と浮島伝説

鋸南町の気温は24℃ 曇り
※21日(日)臨時休業致します。

毎日雨ばかりで、気も滅入ってしまう毎日ですが、美味しい魚を食べて元気に過ごしてください。梅雨明けは今月末のようです。

20160611_085950 _470.jpg

IMG_20190406_113219_470a.jpg

IMG_20190604_095621_470.jpg


浮島伝説(ヤマトタケルと景行天皇)

Uki-Island_.jpg
(浮島・千葉県安房郡鋸南町沿岸の東京湾にある島)

勝山海岸から1.1キロメートルの距離にあり、周囲は792メートル、高さ60メートルあり、6,216坪の面積がある。島内には浮島神社があり、毎年7月第2土曜日に祭礼があり、翌日の日曜日には島渡しが行われる。 大ボッケ、小ボッケと呼ばれる二つの属島がある。これらはかつて浮島と一つの島だった。

--浮島伝説--

勝山沖にある浮島(うきしま)は、古代ロマンに満ちた伝説が伝わります。その昔、大和朝廷から東国平定を任された景行(けいこう)天皇の皇子、ヤマトタケルノミコトが、相模から内海(現在の東京湾)を渡ろうとすると、突然の大嵐で、船が沈みそうになりました。その時、妃のオトタチバナヒメが身代わりに海に身を投げて、海神の怒りを鎮め、無事房総に渡ることができたのです。ヒメのなきがらが流れ着いたのが、勝山海岸にあるみさご島と言われます。

東国平定を成し遂げたヤマトタケルの死後、父の景行天皇は、同じ旅路をたどり、浮島に来ました。浮島がとても気に入った天皇は、しばらく滞在したといいます。

この時、天皇に同行していたイワカムツカリ(磐鹿六雁命)が、浜辺でとれた大きな蛤や、角で作った弓の先で釣り上げた堅魚(鰹)を料理して天皇に差し上げたところ、たいそう喜ばれ、以来、天皇家の料理番となりました。のちに料理の神様としても祭られるようになりました。勝山は日本料理文化の発祥地でもあります。

本日入荷の寿司種です。(入荷が少ないものは、早めに無くなるものもございます)

アカムツ、マゴチ、シンコ、アジ、赤貝、アオリイカ、イワシ、カスゴ鯛、コハダ、キス昆布締め、クロムツ、サザエ、サヨリ、シマアジ、タコ、タチウオ、トコブシ、トラフグ白子、ハマグリ、ヒラメ、花鯛、真鯛、金目鯛、煮アナゴ、生サバ、海胆、自家製玉子焼き、他
(魚介は全て天然物です)

皆様のご来店をお待ち申し上げます

※営業時間:午前11時〜午後8時30分(午後7時以降は要予約)
定休日:毎週木曜日
※休祝日・連休・お盆期間中はご予約の方を優先させていただきます。

らかん寿し松月HP
ご予約はこちらからお願します。
お急ぎの場合は、電話でご予約をお願いします。(メールでの返事は時間が掛かります。ご了承ください)
TEL:0470(55)1004
Facebookもよろしくお願いします
posted by らかん at 10:27| Comment(0) | 保田の歴史、文化