2019年07月08日

ハマグリ(九十九里産)を軟らかく仕込んであります!

鋸南町の気温は19℃ 曇り
※21日(日)臨時休業致します。

煮ハマグリ(煮蛤)

ハマグリも国産は少なくなり輸入物が多く出回っていますが、国産(地ハマ)の物は味も噛みごたえも違い旨味が濃いです。当店では九十九里産のハマグリを提供させていただきます。軟らかく仕込んであり、大変人気が高いです。

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(煮ハマグリ寿し 九十九里産)

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ハマグリは、鉄分やカルシウム、マグネシウム、亜鉛などのミネラル分が豊富で、タウリンも含んでいます。貧血や骨粗鬆症の不安に悩まされる方には是非お勧めします!

鋸南町には源頼朝が上陸したとされる場所に石碑が建っています

治承 4 年(1180)伊豆で流人生活を送っていた源頼朝は、平家打倒をかかげ挙兵しましたが、石橋山の戦いで大庭景親(おおばかげちか)に敗れ、真鶴(まなづる)崎から海路安房に落ち延びました。『吾妻鏡(あずまかがみ)』によると 8 月 29 日、「安房国猟島(りょうじま)」に着いたと記されています。これが現在の鋸南町竜島とされ、昭和9年 に千葉県指定史跡に指定されました。先着していた北条時政に出迎えられ、わずかな供で竜島に上陸した頼朝は、神明社に落ち着き、安房の豪族たちに味方になるよう書状を送ります。

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9 月 3 日、房総一の勢力を誇る上総介広常(かずさのすけひろつね)の館(一宮町)に向かうため竜島を出発。吉浜から江月、大崩の山路を越え、長狭郡貝渚(かいすか・鴨川市)に出ましたが、その夜、平家方の豪族、長狭常伴(ながさつねとも)の襲撃を受けます。これを撃退したのが鴨川の一戦場(いっせんば)で、頼朝が難をのがれて隠れたのが、仁右衛門島と言われています。

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その後、参着した安房の豪族、安西景益(あんざいかげます)のすすめで、外房を南下して安西館(南房総市三芳)へ入りました。ここで頼朝は、各地の豪族へ書状を書いたり、付近の神社などに戦勝祈願をしたりして過ごし、9 月 13 日、多くの味方を得た頼朝は、安西館を出発し上総へ向かいます。そして房総半島を北上して鎌倉へ入りました。

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上陸してからわずか 14 日間で、敗軍の将、頼朝は、房総の豪族たちを味方にし、一大勢力となります。そして、ついに平家を滅ぼし、鎌倉幕府を開きます。頼朝にとって再起の一歩となった竜島は、その後の日本の歴史にとっても重要なターニングポイントとなったのです。鋸南町をはじめ、房総各地には頼朝伝説として語られるさまざまな伝説が残されています。
(鋸南町歴史・文化案内書)

本日入荷の寿司種です。(入荷が少ないものは、早めに無くなるものもございます)

マゴチ、シンコ、メジマグロ、アジ、赤貝、アオリイカ、イワシ、カスゴ鯛、コハダ、キス昆布締め、クロムツ、サザエ、サヨリ、シマアジ、タコ、タチウオ、トコブシ、トラフグ白子、ハマグリ、ヒラメ、花鯛、真鯛、金目鯛、煮アナゴ、生サバ、海胆、自家製玉子焼き、他
(魚介は全て天然物です)

皆様のご来店をお待ち申し上げます

※営業時間:午前11時〜午後8時30分(午後7時以降は要予約)
定休日:毎週木曜日
※休祝日・連休・お盆期間中はご予約の方を優先させていただきます。

らかん寿し松月HP
ご予約はこちらからお願します。
お急ぎの場合は、電話でご予約をお願いします。(メールでの返事は時間が掛かります。ご了承ください)
TEL:0470(55)1004
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2019年04月02日

春の魚、春日子が美味しい時期は、野山も美味しいものが一杯です。

鋸南町の気温は4℃ 晴れ

春の魚、春日子が美味しい時期には、野山も蕗、筍、独活、セリなど美味しいもので賑わっています。

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(春日子)

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保田の人は、房州の他の土地の人に比べて言葉がきれいだと言われています。かなりの年配の人でも、あまり房州の言葉を使わず標準語で話しをします。それは、小さな頃から、避暑に訪れる都会の人達と接していたからだと思われます。保田が避暑地として、お客さんを迎え入れる様になったのはかなり古くからの事です。

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多くの家が母屋をひと夏お客さんに貸して、家主や家族は納屋で住んでいました。納屋と言っても大家族が十分と暮らせる程大きなものです。

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夏目漱石が学友とともに、保田を訪れたのが明治22年。おそらくこの頃から海水浴が始まったのだろうと言われています。

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西条八十が保田の海へと度々訪れたという話も有名で、”歌をわすれたかなりやは・・”という八十の代表作「かなりや」も、保田滞在の時に作られたと言われています。

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当時駅前通りにあった「かづま旅館」のおばあさん、”こう(幸)さん”が9歳か10歳位の時、近所に来ていた八十に可愛がられたそうです。そのこうさんを題材にして作られたと言われています。

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※今はかずま旅館も閉館しました。

漱石や八十が訪れた当時、鉄道はまだ開通はしていなくて、東京からは、もっぱら汽船が使われました。東京霊岸島から保田までは、船便で5時間近くかかったそうです。
※霊岸島
東京都中央区東部,隅田川河口右岸の旧町名。現在の新川1,2丁目にあたる。江戸時代初期には北の箱崎島 (現日本橋箱崎町) とともに江戸中島と呼ばれたが,新川の開削により分離。地名は寛永1 (1624) 年霊巌雄誉上人がこの地に創建した霊巌寺に由来 (寺は明暦の大火後,深川に移転) し,霊巌島とも書いた。

1917年(大正6年)8月1日 保田に鉄道が開通すると、次第に海水浴客も増えていきました。

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その頃、石原純と原阿佐緒のスキャンダラスなロマンで、保田は一層有名になりました。石原は、東北大の物理学の教授でアララギ創刊以来の歌人でもありました。原は同じアララギ派の女流歌人。二人はいつしか恋仲になりました。

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また、石原には大学があり妻子もあり、原には二人の子供がありましたが、二人は過去の一切を捨て保田へと移り住みました。大正11年、当時この痴話が新聞に大々的に報じられたと言います。洋風二階建ての建物が保田小の裏にでき、【曖日荘】と名づけられました。

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本日入荷の寿司種です。(入荷が少ないものは、早めに無くなるものもございます)

マゴチ、カスゴ鯛、シマアジ、サヨリ、サワラ、アオヤギ、赤貝、タチウオ、ヤガラ、アカムツ、クロムツ、甘鯛、真鯛、花鯛、金目鯛、煮アナゴ、アワビ、ハマグリ、アジ、タコ、シメサバ、生サバ、イワシ、コハダ、ダルマイカ、ウニ、自家製玉子焼き、他
(魚介は全て天然物です)

皆様のご来店をお待ち申し上げます

※営業時間:午前11時〜午後8時30分(LO;7時30分)
※定業日:毎週木曜日
※休祝日・連休・お盆期間中はご予約の方を優先させていただきます。
※午後7時以降のご来店はご予約をお願いします。
らかん寿し松月HP
ご予約はこちらからお願します。
お急ぎの場合は、電話でご予約をお願いします。(メールでの返事は時間が掛かります。ご了承ください)
TEL:0470(55)1004
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2018年07月17日

きょなんの海と文豪(漱石、八十の夏の思い出)

鋸南町の気温は26℃ 晴れ

プールで遊ぶ子供が増え、海で泳ぐ子供達も少なくなりましたが、かっての保田は夏になると多くの避暑客で賑わっていたものです。そしてここ鋸南町保田は房州海水浴発祥の地でもあります。いよいよ今年も、海水浴場のオープンが近づいてまいりました。鋸南町の海水浴場を開設期間は、勝山・保田海水浴場;7月21日(土)〜8月12日(日)、大六・鱚ヶ浦・元名海水浴場; 7月28日(土)〜8月12日(日)となっております。

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(波が穏やかな海)

保田は明治以降、多くの避暑客でにぎわう避暑地として人気がありました。多くの文人墨客も訪れ、作品の中の舞台として登場させています。夏目漱石は、明治 22 年(1889)8 月、22 歳の時、第一高等中学の学友 4 人と房州を訪れています。汽船で保田に着いたのが 8 月 7 日。保田での滞在は約十日間で、昼は海水浴や鋸山散策。夜は酒盛りに囲碁、カルタと学生時代の夏休みを大いに楽しんだようです。旅から帰ると、漱石はこの旅の紀行漢詩文集「木屑録(ぼくせつろく)」を書き上げました。

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(夏目漱石)

これによると、日焼けでしだいに真っ黒になっていく自分を鏡で見て驚く漱石が書かれています。
また、若さゆえの今の自分に苦悩し寝付けぬ夜もあったようです。この房州旅行は、後の文豪、漱石の文学的資質を作る一つの転機となったと言われます。小説「こころ」には保田が舞台となる場面もあります。それによると、保田はどこもかしこも生臭いとか、海に入れば大きな石がごろごろしていると、あまりいい印象ではないようです。しかし、鋸山の景観には深く感じ入ったようです。この漱石の海水浴を記念し、保田海岸には房州海水浴発祥地の石碑が建てられました。

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(房州海水浴発祥地の石碑)

詩人、西条八十(さいじょうやそ)も保田を愛した一人です。早稲田中学時代から保田にたびたび避暑に訪れていた八十は、保田海岸でその幻想的な詩風を培いました。今なお歌い継がれている童謡「かなりや」は、保田で創作されたもので、大正 7 年(1918)に児童雑誌「赤い鳥」に発表され、26歳の新人無名の八十が世に出るきっかけとなった名作です。保田で出会った一人の少女がモデルとも言われ、八十の淡い初恋があった保田海岸です。少女の名前はお幸ちゃん。(※駅前商店街にある、らかん寿し松月の前にかづま旅館があり、そこの娘さんでした。当時10歳ころ)当時は一緒に海水浴をしましたが、のちに彼女は家庭の事情で保田を離れました。その後再開した二人は晩年まで交流が続きました。

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(西条八十)

---金絲雀(かなりや) 西条八十---
唄を忘れた金絲雀(かなりや)は うしろの山に棄てましょか。
いえ、いえ、それはなりませぬ。

唄を忘れた金絲雀は 背戸の小藪に埋めましょか。
いえ、いえ、それもなりませぬ。

唄を忘れた金絲雀は 柳の鞭でぶちましょか。
いえ、いえ、それはかはいそう。

唄を忘れた金絲雀は 象牙の船に、銀の櫂
月夜の海に浮べれば 忘れた歌を想ひだす。

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(当時の面影が残る、かずま旅館)

保田海岸は、古くから富士の見える絶景ポイントで、房総を旅した歌川広重は、「富士三十六景」シリーズで、ここからの富士の眺めを浮世絵版画にしています。

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(鋸南町歴史・文化案内書)
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(遠くに富士山が見える)

漱石や八十が訪れた当時、鉄道はまだ開通しておらず、東京からの足には、もっぱら汽船が使われた。※東京霊岸島から保田まで船便で5時間近くかかったそうである。

※霊岸島(東京都中央区東部,隅田川河口右岸の旧町名。現在の新川1,2丁目にあたる。)
地名は寛永1 (1624) 年霊巌雄誉上人がこの地に創建した霊巌寺に由来 (寺は明暦の大火後,深川に移転) し,霊巌島とも書いた。

鉄道が開通すると、次第に海水浴客も増えていった。

その頃、石原純と原阿佐緒のスキャンダラスなロマンで、保田は一層有名になった。石原純は、東北大の物理学の教授でアララギ創刊以来の歌人でもあった。原は同じアララギ派の女流歌人。二人はいつしか恋仲になった。石原には大学があり妻子もあった。原には二人の子供があったが、二人は過去の一切を捨て、保田へと移り住んだ。この痴話が新聞に大々的に報じられたと言う。洋風二階建ての建物が保田小の裏にでき、【曖日荘】と名づけられた。

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(石原純と原阿佐緒)

※石原純は、1881年1月15日東京府、日本基督教会本郷教会牧師石原量の長男として生まれる。郁文館中学、一高を経て、1906年7月 東京帝国大学理科大学卒業。長岡半太郎に学ぶ。東北帝国大学助教授時代にヨーロッパに留学し、アインシュタインらのもとで学ぶ。1922年には、アインシュタインの来日講演の通訳をした。日本に相対性理論を紹介するなど、物理学の啓蒙に大きな役割を果たした。1931年から雑誌『科学』(岩波書店)の初代編集主任を務めた。

※原阿佐緒は、1888年(明治21年)6月1日、宮城県黒川郡宮床村(現在の同県同郡大和町大字宮床)に生まれる。宮城県立高等女学校(現在の宮城県宮城第一高等学校)を中途退学し、上京して日本女子美術学校(現在の東京都立忍岡高等学校)で日本画を学び、1909年(明治40年)、新詩社に入って与謝野晶子に師事、『スバル』に短歌を発表。『スバル』終刊後は『アララギ』に移り、今井邦子や三ヶ島葭子とともにアララギ女流の新鋭と見なされるようになる。

本日入荷の寿司種です。(入荷が少ないものは、早めに無くなるものもございます)

サワラ、サヨリ、シンコ、マゴチ、イナダ、イサキ、カマス、タチウオ、キス、カツオ、トコブシ、春子鯛、アオヤギ、花鯛、真鯛、金目鯛、煮アナゴ、カレイ、ヒラメ、アワビ、サザエ、アジ、生サバ、シメサバ、イワシ、コハダ、地たこ、ダルマイカ、ウニ(北海道、竹岡)、自家製玉子焼き、他
(魚介は全て天然物です)

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皆様のご来店をお待ち申し上げます

※休業日:毎週木曜日
※休祝日・連休はご予約の方を優先させていただきます。
※午後7時以降のご来店はご予約をお願いします。
※6名様以上は必ずご予約をお願いします。
らかん寿し松月HP
ご予約はこちらからお願します。
お急ぎの場合は、電話でご予約をお願いします。(メールでの返事は時間が掛かります。ご了承ください)
TEL:0470(55)1004
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タグ:夏目漱石
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