2015年12月14日

世界の中心で愛をさけぶ、ドフラインイソギンチャク発見

(世界の中心で、愛をさけぶ)の撮影に使われた浮島沖で、幻のイソギンチャクが110年ぶりに発見というニュースがありました。標本や研究成果は来年1月11日まで、海の博物館で展示しているそうです。

幻のイソギンチャク発見 110年ぶり鋸南沖で 

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再発見された「ドフラインイソギンチャク」(海の博物館提供)

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(浮島)

1904年以来、国内で生息が確認されていなかった「ドフライン・イソギンチャク」が、千葉県鋸南町の沖合で約110年ぶりに見つかった。県立中央博物館分館「海の博物館」(勝浦市)の柳研介主任上席研究員(44)らの研究チームが12日、学術誌上で発表した。外見が似た別のイソギンチャクと混同されていた上、標本の所在が長年分からなかったことから、記録だけが残る“幻のイソギンチャク”となっていた。

 2012年10月、お茶の水女子大学の広瀬慎美子・特任講師が鋸南町の浮島沖で、海洋生物の調査中に見つけた。イソギンチャクに詳しい柳研究員が確認したところ、ドフライン・イソギンチャクに似ていたことから研究グループを組んで調査を開始した。

 触手を含めた長さ20センチほどになる形態や筋肉構造を観察し、DNAを解析。毒の入ったカプセル形の「刺胞」の大きさや位置が、これまでに見つかった個体と同じだったことが特定の決め手となった。

 ドフライン・イソギンチャクは1904年、ドイツ人研究者のフランツ・ドフライン博士が神奈川県の三浦半島沖で採集し、08年に新種として発表した。

 浅海に生息する「サンゴイソギンチャク」に似ていることから国内では混同され、長年見つからなかった。標本は戦前、ドイツ・ミュンヘンの博物館で保管していたが、第二次世界大戦の爆撃から逃れるため郊外に避難させた際に所在不明となった。

 博物館は1985年に再建され、資料整理の結果、標本の所在を確認。その後、アメリカ人研究者が生息状況を調査し、2001年にはニューカレドニア、フィリピンなどの深海で再発見したと発表した。

 19世紀〜20世紀初頭にかけて国内で見つかったイソギンチャクは約50種。その後は存在不明となっている種類も多く、柳研究員は「今後も他の“幻のイソギンチャク”の再発見を目指したい」と抱負を語った。

 標本や研究成果は来年1月11日まで、海の博物館で展示している。
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2015年11月11日

昭和53年頃の保田駅前商店街

鋸南町の気温は18℃晴れ 

昭和53年当時の保田商店街には、本当に多くの商店がありましたが、時代とともに町の様子も変化して行き、今はすっかり寂しくなりました。当時は夏休みと同時に、駅から人が大勢降りてきて駅前通りは車が通れないほどでしたが、今は夏休みの過ごし方も変化して、海で泳ぐ子供も少なくなりました。
駅の乗車人数も毎年少なくなり、それと比例して電車の運行数も減って今では1時間に1本です。(1990年の1日乗車人数は721人、2014年は280人です)

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バブル期には、大手の会社は保田、岩井に保養所を持っていましたがバブル崩壊を期に建て直しが出来ず撤退。駅前通りも当時はびっしりと店が建ち並んでいましたが、今は閑散としています。

本日入荷の寿司種です。(入荷が少ないものは、早めに無くなるものもございます)

皮ハギ、アカムツ、カンパチ、真鯛、花鯛、金目鯛、黒むつ、ヒラメ、サワラ、アジ、きす昆布〆、いわし、コハダ、地たこ、いか、サバ、アナゴ(羽田沖)、アサリ、サザエ、アワビ、自家製玉子焼き(有精卵使用)(ウニ、赤貝、イクラ醤油漬け、マグロズケ、トロ他)

※希少な為、入荷が少なくて載せていない寿司種もございます。
皆様のご来店を心よりお待ち申し上げます。
タグ:保田商店街
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2015年06月20日

キャンプストアー

大正から昭和にかけて、訪れる避暑客の殆どが、貸間を借り切って一家揃ってやって来た。女中を連れて、一月近く滞在する人も珍しくなかったそうだ。台所を借りて自分たちで食事の仕度をする人もいた。互いに親戚づきあいのようなもので、子供達も一緒になって遊んだという。「房州の言葉で話すと、東京から来た子供達には通じないから、自然に向こうの言葉になっちゃうんですね。」

昭和5年には明治製菓が、昭和9年には森永製菓が直営のキャンプストアーを出店すると保田の夏も一層賑やかなものとなった。

とにかく、このキャンプストアーは立派な建物で、もちろん夏だけだが、大きな舞台もセットされ、400人近くの人が入場できたという。映画が上映されたり、有名俳優が出演したり、毎日様々な催し物が行われた。明治と森永が互いにライバル意識を燃やして火花を飛び散らしていたそうだ。保田のにぎわいも戦時中を抜かし戦後も続くが、今はひと頃の花々しさは無くなった様だ。「駅前通りは夜になると人で一杯でね。」とも言うし「下駄のカラコロという音がうるさくて、電話の音もろくに聞こえなかった。」ともいう。

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【TamTam 昭和53年9月Vol.7 63 特集=内房線各駅停車@ ほた】より
posted by らかん at 20:00| Comment(0) | 保田の歴史、文化