2015年07月16日

鋸山・日本寺で聖徳太子の石像が壊されたニュース続報A

聖徳太子の石像壊した容疑 18歳少女を書類送検 「大変なことをした」 /千葉
ちばとぴ by 千葉日報 7月16日(木)5時0分配信

 千葉県鋸南町元名の日本寺でことし5月、県の文化財に指定されている聖徳太子の石像1体が壊されているのが見つかった事件で、館山署は15日、器物損壊の疑いで東京都の無職少女(18)を地検木更津支部に書類送検した。少女は「つまずいて石像に手を掛けたら倒れてしまった。大変なことをした」と話しているという。

 書類送検容疑は5月7日午後、日本寺の参道脇にある石像(高さ約130センチ)を倒し、壊した疑い。石像は胸から上下二つに折れた。

 同署によると、少女は東京都の30代男性と同寺を訪問。参道散策中に石像を囲む柵の横から石像に近づいて写真を撮ろうとした際につまずき、石像がはめ込まれた台座の下の土台に手を掛けて落としてしまったという。石像は固定されていなかった。柵を越えて石像に近づくのは禁止されているという。

 2人は現場を立ち去ったが翌8日、館山署に出向いた。少女は「わざとではないが、やったことを反省しないといけないと思った」と話したという。同署は男性は損壊行為に関わっていないとして立件しなかった。

 県教育委員会によると、聖徳太子の石像は18世紀後半に作られた。日本寺の参道には石像が多数あり、県文化財に指定されている。寺は現在、業者に修復依頼中という。
Facebookもよろしくお願いします。
posted by らかん at 09:23| Comment(0) | 気になるニュース

2015年05月25日

東大野球部 勝利のニュース

非常に喜ばしいニュース
<東京6大学野球:東大6−4法大>◇第7週第1日◇23日◇神宮

硬式野球部(東京六大学野球)は23日、法政大学と対戦して6―4で勝利し、更新中だった連敗記録を94で止めた。3度逆転が起きる白熱した試合となり、延長戦の末、東大が粘り勝った。2010年秋季リーグ戦で早稲田大学に勝利して以来、9季ぶりの白星となった。法大に勝利するのは2008年秋季リーグ戦以来13季ぶり。
------------------------------------------------
東大OBの皆様おめでとうございます。ぴかぴか(新しい)
でも、この1勝の価値は凄いですね。海外でもニュースになるのですから・・

野球部OBの皆様ではないですが・・
おめでとうございますexclamation×2

toudai.jpg
タグ:東大野球部
posted by らかん at 08:55| Comment(0) | 気になるニュース

2015年05月08日

鋸山・日本寺で聖徳太子の石像が壊された@

鋸南町の観光名所、鋸山で事件が起きました。日本中で寺社仏閣に油のような液体がまかれる事件が起きていますが、一連の事件の延長でしょうか。

聖徳太子の石像壊れる 20代男女が走って逃げ去る? 千葉・鋸山の日本寺
http://www.sankei.com/affairs/news/150507/afr1505070044-n1.html

taisi.jpg
日本寺の聖徳太子の石像(鋸山日本寺のHPより)

7日午後4時半ごろ、千葉県鋸南町の鋸山にある日本寺で、参道脇の聖徳太子の石像(高さ約130センチ)が倒れて壊れているのに男性観光客が気付き、寺関係者が110番した。館山署が器物損壊容疑で調べている。

署によると、男性観光客は、参道脇の柵を乗り越えて石像に近づく男女を目撃。
目を離した後、石像の方から大きな音が聞こえたため再度見ると、男女が境内出口に向かって走り去っていくところだった。石像は台座から落ち、胸から上下二つに折れていた。

syoutokutaisizouhakai.jpg
(割れた聖徳太子像)

男性は身長約170センチでサングラス姿女性はピンク色のジャージーを着ていた。ともに20代後半とみられる。町教育委員会によると、参道には聖徳太子などの石像が多数あり、県文化財に指定されている。

聖徳太子の石像@日本寺@鋸山

採取された石材は、幕末から明治、大正、昭和にかけて、主に横須賀軍港や横浜の港湾設備、東京湾要塞の資材として利用された。また、靖国神社や早稲田大学の構内にも利用されている。自然保護規制の強化により昭和57年を最後に採石を終了し、現在鋸山は観光資源として利用されている。

日本寺(にほんじ)は、千葉県安房郡鋸南町にある、曹洞宗の寺院。山号は乾坤山(けんこんざん)。本尊は、薬師瑠璃光如来。大仏(日本寺大仏)があることで知られる。
寺伝によれば、聖武天皇の勅願により、行基によって神亀2年(725年)に開山されたとされ、当初は法相宗に属していたという。
最盛期には七堂十二院百坊を有する規模を誇り、良弁、空海、円仁らが留錫(りゅうしゃく)したと伝える。良弁は木彫の大黒天を彫り、空海は100日間の護摩を焚き、石造の大黒天を彫り遺し、仁王門の金剛力士像は円仁の作とする伝承がある。
天安年間(857年 - 859年)、円仁が入寺して天台宗の寺院となったと伝え、その後、隆盛と衰退を繰り返したが、復興には源頼朝や足利尊氏の援助を受けたという。
真言宗を経て、江戸幕府三代将軍徳川家光の治世に曹洞宗に改宗した。幕府から朱印状を与えられていた。境内にある五百羅漢像(千五百羅漢)は、江戸時代後期にこの寺を復興した高雅愚伝(当寺第九世)が発願したもので、上総国望陀郡桜井村の石工・大野甚五郎英令が門弟27人と共に安永8年(1779年)より寛政10年(1798年)までの前後約21年の歳月をかけて彫ったものであり、約1,553体の石仏がある[1]。
明治に入り、神仏分離に伴う廃仏毀釈や1939年(昭和14年)の火災などにより、現在残る堂宇は仮本堂をはじめごくわずかとなっている。
1989年(平成元年)5月、インド国政府により、日印親善と世界平和を祈念して、釈尊成道の聖地、ブッダガヤの聖菩提樹(釈迦がこの木の下に坐して悟りを開いたと言われる)の分木が日本寺へ贈られ、大仏広場に植えられている。

インドと日本寺

インド・ブッダガヤの「聖菩提樹」の苗木が贈られ、1989年(平成元年)5月24日、関係者約400人が集まって、植樹記念法要が行われた。
この苗木は、先ごろ同寺を訪れたインド大統領特別補佐官のラーマ・ロブサング大僧正の仲介により、インド政府の特別のはからいで分木されたもので、海外に出るのは初めてと言われている。
また、苗木と一緒にアショーカ寺貫主から インドの国章となっている「四獅子像初転法輪石柱」(レプリカ)も寄贈され、大仏広場脇に建てられた。

この日の法要には、インド側からカイラス・アスラーマ在日大使夫人やラーマ大僧正、また同寺奉讃会の名誉総裁を務める元皇族の梨本徳彦、同理事長の安孫子藤吉元自治相、それに郡内の県議、町村議、地元関係者多数が参列。フェンスの囲いに護られた菩提樹と、その前に建立された石柱及び記念碑の除幕式も行われた。
posted by らかん at 06:46| Comment(0) | 気になるニュース